卵の透かし売り
二〇〇七年一月上旬から下旬にかけてマスコミに、宮崎と岡山の鳥インフルエンザ禍が相次いで伝えられた。いずれも中国ルートの渡り鳥が元凶らしい。二万数千羽もの鶏が、殺処分の難に遭っている。業者の損失は元よりだが、何だかとても、鶏がかわいそうでならない。どうせ食肉用の宿命にあるとはいえ、毒性の強い高病原性ウイルス(H5N1型)で「狂い死」というのは無残である。
ところで鶏といえば卵。卵といえば半世紀も昔になるが、私の新婚生活を思い出す。
昭和三十年代はじめ薄給サラリーマンの夫の許に嫁いだ私は、大阪市東淀川区の裏町に住んでいた。買物は、今のようにスーパー(冷たいイメージの)は少なく、公設市場とそれにつながる商店街で済ませるのが主流であった。
あの頃の商店街は人情が厚く、買い物籠を下げた奥さんたちで賑わっていた。切れたゲタの鼻緒をすげ替えて貰える履物屋。てんぷら油を計り売りする酒屋。手のひらにのせた豆腐を幅広の平べったい包丁で切ってみせ、半丁でも売る豆腐屋。そして、米屋では恥ずかしげもなく一升(約一.八ℓ)買いをよくしていた。
そんなとある一軒に、「卵の透かし売り」をするおじさんの店があった。大小により分けた卵の台の上に盛り上げられ、客の注文に応じて何個でも売ってくれる。
腰は曲がっているが、いかにも好々爺らしいおじいさん。一個一個手品師よろしく、両手の指先でクルクルまわしながら裸電球に透かし、中身を点検して売るおじいさんの姿が、モノクロ写真のようによみがえる。
当時、わが家に電気冷蔵庫などあろう筈がない。中古の氷冷蔵庫があるにはあったが、冷蔵能力は長持ちしない。そこで要るだけをバラ売りする、おじいさんの店はとても重宝だった。
夫は卵料理が好きだから、私は毎日のように買いに行く。給料をいただいた当座は五個、月末で手元不如意になると二個といった具合に……。しかし、おじいさんはいやな顔ひとつしない。寡黙さを補ってなお余り有るほどの、笑顔を絶やさぬ老人だった。
私どもは十数年でこの町を離れ、他区へ引っ越した。おじいさんの消息は分からないままになった。と同時に、それ以来、「卵の透かし売り」を見かけなくなったが、パック入り卵は大丈夫なの?という素朴な疑問を持ちつづけてきた。
今年の二月初旬のこと。農協に勤める知人が、出張がえりにひょっこりわが家へ立ち寄ってくれた。私は好機到来とばかり、さっそく彼に訊ねてみたら、今でも「卵の透かし」はやっているという。
卵の作業手順は、まず洗浄。つぎに大中小の選別。さらに暗くした倉庫で(写真現像をする暗室のような)一個ずつを電球に透かして中身点検。そしてパック詰め、紙箱詰め、発送等などすべて産地業者に委ねられているそうだ。
オートメ化した設備で処理され、衛生的で新鮮な卵の供給をうけてきたことに、ひとまずは安心した。
この話を聞くうちに、私は「ハッ」と、気がついた。あのおじいさんの店の片隅には、直方体の木箱がいくつも積み上げられ、卵を保護するモミガラが、その辺に散らかっていたなぁと。卵に親鳥のフンがこびりついていたが、それほど不潔には思わなかったなぁとも……。
こんなご時勢だからこそ余計になつかしいのだろうか。「卵の透かし売り」をするおじいさんの姿は、古き時代の良き風物詩だ。私の脳裏から離れようとしない。


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