« 卵の透かし売り | トップページ | 川辺の船宿を訪ねて (2)伏見港から「寺田屋」へ »

影絵

  うちのご亭主が、不慮の事故でケガを負ってしまいました。「左肘剥離(はくり)骨折」という全治3ヶ月のケガを……。
 それは二〇〇六年十一月初旬のことです。
 南港「中ふ頭」の街は明るくて見通しがよく、大阪でもシンボル的な地域で知られています。そんな町の舗装道路に敷かれた簡易レンガに、足を奪われて転んでしまったのです。

「そりゃ、もう齢だから、仕方ないよ」
 こう片付けてしまうのは、余りにも酷というものですよ。「若い者には負けへんぞ」と、老いてますます意気軒昂(いきけんこう)のお方です。「一寸、戒めてやれ」。おそらく天に在わします神様の、嫉みに合ったのでございましょう。
 もともと負けず嫌いの彼のことですから、入院、手術そして三週間の固定期間を、まあ平然とクリアしましてね。「さぁ、今日からリハビリを」と、主治医より許可が出てからというものは、ご自分でも、そりゃ、涙ぐましい努力をなさったようでございます。
 彼は、こよなく愛する晩酌を嗜んだあと、「飯」をお召し上がりになり、終わるや否や、いつも「風呂」と申されます。私はなるべく遅めの入浴をと願うのですが、一刻の猶予もありません。血圧や尿酸値が高いから、気が気でないのです。
 そこで私は、浴室の外からドアをコンコン鳴らして、「生きてますか?」と、少しばかり恨みもこめて軽口をたたきます。すると決まって「おー」と返ってくる。その声に安堵して、台所へ戻るのを常としています。
 さてリハビリが始まり、二、三日経った頃だったでしょうか。彼がどうも長湯なので気になり始めたのです。どうしたのかしら?いつもの<ドア・コンコン>、「生きてますか?」「おー」では納得できません。そのとき意を決した私は、痴漢よろしくこっそりと少しドアを開けて、中を覗いてみたのです。
 なんと彼は、湯舟に全身を横たえたまま、硬直した左腕を上下させたり、屈伸させたり。グウ、チョキ、パーと、指のリハビリにも励んでいるのです。真剣な面持ちで…。
 見えっ張りの彼は、こんな光景を妻に一度も見せたことがなかったのです。『あれぇ、いつの間にか、左腕が動くようになったぞ』と、うそぶきたいのでしょう。私はそおっとドアを閉じ、知らん振りをきめこみます。
 ところで人間の睡眠は、レム睡眠とノンレム睡眠の繰り返しだと、医学講座で聞いたことがあります。眠りは深いが脳波は覚醒時のような型を示すレム睡眠。一夜の睡眠でほぼ二時間おきに二十~三十分つづく。一方、ノンレム睡眠は深い眠りに陥る状態をいい、一夜の睡眠の八割を占めるそうです。
 ある夜中。私はまさしくそのレム睡眠から抜け出たような状態で、パツと目が覚めたのです。意識は朦朧(もうろう)として夢うつつです。寝室は真っ暗。ただ硝子窓の内側に建て付けた障子には、夜空の雲間から漏れる月光のせいでしょうか、ほんのりと明かりがさしています。
 その障子に私は、はっきりと、真っ黒な狐を目撃したのです。その驚愕さ加減といったら例えようがありません。狐は、尖った口をパクパクさせ、コンコンと鳴き、首をぐいっと伸ばしたりすくめたり。あぁ、恐ろしい。
 狐は一瞬、私を野生の世界に引きずり込みました。が、ほどなく、それはメルヘンチックな「影絵」の悪戯だと気づいたのです。
 首をぐいっとのばしたその付け根に、黒い大きな固まりがご亭主の頭だと分かった、そのときの可笑しさったら。狐は、正体がバレているのに霊力の赴くがごとく、<口パクパク><首ぐいぐい>を一層、活発にさせています。ぐっと笑いをこらえる私。そう、彼は夜の目も寝ずにリハビリに励んでいたのです。
 長湯で心配させたり「影絵」で驚かせたりしながら、全治を半月も早めたご亭主は、ある日、案の定つぶやきました。『あれぇ、いつの間にか、左腕が動くようになったぞ』と。

« 卵の透かし売り | トップページ | 川辺の船宿を訪ねて (2)伏見港から「寺田屋」へ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/198926/15951269

この記事へのトラックバック一覧です: 影絵:

« 卵の透かし売り | トップページ | 川辺の船宿を訪ねて (2)伏見港から「寺田屋」へ »