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落としたお金、拾った自然

 決してお金に執着がないというわけではない。それどころか、人一倍執着が強いと思える御仁(ごじん)なのに、私の夫はよくお金をお落としになる。大蔵省の日本銀行券は、落としたら最後、すたこら歩き出して他人さまの元にいき、そこで、いくら私のモノだと言い張っても証拠になるものは何もありわしない。夫がこれまでに落とした状況を思い出してみると、その根本的な原因は、管理がおおざっぱなということになりそうだ。阿呆(あほう)な奴、そんな落としたことをいちいち女房に言う奴があるか、と、男性諸氏から夫は非難されそうだが、そこはそれ、何事も内緒にできないのが、わが愛すべき夫の性格というところか……。この間(と言っても昨秋のことになるが)も、夫が外出から慌てて帰ってきた。只今とも言わずに部屋に駆け込むや、上着やズボンをパタンパタン叩きはじめ、次にポケットの中身を全部ほうり出して、おかしい、やっぱり無い八千円が無い、と、のたもうた。また随分はんぱなお金を、どこで落としたんですか?と聞くと、そんなん分かっていたら誰も苦労せんわい、すーごく低気圧なので、それもご尤(もっと)もだと、しばらく傍観をきめこんでいた。
 やがて自分に納得させるようにつぶやいたのによると、あの店で一万円出して八千円の釣り銭を貰った。そのまま四つに折って、財布の入っているズボンのポケットにじかにねじこんだ。次の店の買物のとき、財布をとりだして支払った。ああ、くそー、あのときに八千円が勝手にとびだしやがったなあー。
 ざっとこんな調子である。落したものは仕方がないのにどうも諦めがわるい。八千円が八万円だって怪我をしたと思えば……と私は慰めにかかるが、お金ではない自分の迂闊(うかつ)さ加減に腹が立つんだとか何とか、悔しそうに言われる。それが又かわいそうでもあって、私は晩酌のアテを一、二品ふやしたりとか、機嫌をとるのに相つとめるのである。
 こんなことがあって半月後、いや一週間くらいだったか、東京の娘から電話がかかり、北海道観光から無事に帰ってきたが、向こうでお金を拾ったのよ、と付け加えて言った。この皮肉な偶然性に、私はほくそ笑まずにはおれなかった。娘の話はこういうことだ。
 知床半島の根っこの部分にある斜里という町へやってきた。すぐの北面は視界一杯にひろがる網走湾、その奥はオホーツク海へとつながっている。この雄大な海原に注ぐ斜里川のほとりに佇む(たたずむ)と、そのときを盛りに鮭の大群が遡上していた。産卵のための涙ぐましい姿に、観光客は誰もが魅せられている。娘たちはこの鮭を追っかけようと、堤防を上手へと歩きだした。まもなく、一緒に歩く孫娘が、これ拾ったと母親(私の娘のこと)にさしだしたモノがある。それは紛れもなく福沢諭吉の一万円札。同じように歩く誰かが落としたに違いないが、鮭に夢中になって振り返る人もない。交番に届けようかと思ったが、結局、遡上する鮭のお恵みと、頂くことにしたという。
 さて、また斜里の町中に戻ってみて珍しいことを耳にした。この斜里よりずっと奥にあるウトロの山の植林を、百㎡あたり八千円でオーナー募集しているという。近ごろの乱開発を防ぎ自然環境を守るための、立ち木トラスト運動の類いであろう。斜里町役場が受け持ち、すでに三万何千人かのオーナーがいるそうだ。娘は拾ったお金で、この植林を一口買ったのだと高らかに自慢した。
 これを聞いた夫は、うちの女どもはがめつい。ばあさん(私のこと)から孫まで血統書付やなあと、軽蔑の眼で言った。分かってる、花より団子なのである。なんと罵(ののし)られようと、ここは一つ北海道旅行を兼ねて、オーナー然とウトロの山に行ってこなければなるまい。夫の落とした八千円が北海道の自然で返ってくるなんて、こんな妙味があるから、やっぱり人間業はやめられないと思った。

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