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お洒落 and 恋心

 ミッチーこと倉田美智子さんは、私の友人だが、年の頃は四十半ば。長身で、ふさふさした髪の毛が、いつも背中に揺れている、とっても、お洒落好きな才女である。
 ミッチーと知り合ったのは、今から一年半前。私が社会福祉主事の勉強で、共に机を並べたときからで、いわば、志を同じくする仲間だった。あの頃から感じていたのだが、ミッチーは不思議なくらいサービス精神の旺盛な人だった。喜んで貰えるのがうれしいと、誰よりも早目に来て、気の合う仲間に、熱いお茶をお菓子付きでふるまったりした。そんな心遣いは枚挙にいとまがない。
 また、一年間の課程の終わって終了式という日、ミッチーが仲間にサイン帳をまわし、生年月日も是非にと頼み歩く姿を見て、正直なところ、少女趣味だなァと思っていた。ところが彼女、それ以来、仲間の誕生日がくると、電話でお祝いのメッセージを送っているという。この勇気ある行動に、仲間は「生」の喜びを倍加させているに違いない。と、まあ、こんな風に、今どき珍しく洒落たことをやってのける女史なのである。
 ところで十月初旬のある夜、わが家の電話が鳴って、突然「あんちゃん(私のこと)、おめでとう。もじきお誕生日ね」とミッチーの明るい声がとびこんだ。年甲斐もなく、胸に熱いモノが込み上げてくる。やっぱりうれしいものだ。紛れもなく十月二十五日は、私の五十九歳の誕生日。「明日、ちょっと早目のお祝いに、近鉄劇場へ誘いたいのよ。でも気を遣わないで。入場券は頂いたものだから」。映画・芝居好きの私と知っての、心にくいばかりの配慮に、私は有頂天だった。
 上六の近鉄劇場は開幕を前にして満席だった。でも「二扉I列 三十四と三十五番」だけは、ぽっかり二人を待っていた。芝居は、東宝現代劇十月特別公演と銘打つ、佐藤愛子原作『夕やけ小やけで、まだ日は暮れぬ』だった。
 実業家の夫に先立たれた松子(京マチ子)が、家族のわずらわしさを避けて、芦屋の家から白浜の別荘へやってくる。そこへ女学校時代の親友玉枝が、恩師松丸先生を連れて現れる。先生は六十九歳で未婚。結局、松子は先生と同居するはめになる。玉枝は夫・子供・孫まであるといった想定。こうした三人三様の熟年女が、いかに生きるかの問いかけの物語である。
 先生が痛快であった。口紅はオレンジ色、髪はまっ黒に染め、鮮やかな色模様の洋服をまとうといった派手好み。その上老いらくの恋に執念を燃やしている。明るくて、花にたろえれば、芍薬か牡丹。男性に憧憬と魅惑の念を掻き立てる。松子は、遺産相続だ生前贈与だのと騒ぎ立てる子供や孫よりも、この恩師と別荘での暮らしを選ぶ。
 熟年女のほんとの幸せは何だろうか。気の合った者同士、暮らすのもよいではないか。お洒落をすべし。恋もまたいい。先生の恋の行方は哀歓に、充ちているが、見ていても楽しくてしかたがない。私たち女性のもつ潜在的願望が、体現されているからだろう。
 また、三人の女性がそれぞれに美しい。京マチ子をはじめとする、女優本来の美貌や照明効果を差し引いたとしても、その思いはまだ強い。何故だろう。やはり、ドラマは強調されるセリフの洒落っ気が、観客に美しく感じさせていると思えるのである。
 お洒落なミッチーからお洒落な贈り物を頂いたものだ。私も、さりげなくお洒落なお返しを考えなくては。ドラマに滲み出る『お洒落』(私のは、せいぜい、髪をなでつけ口紅を忘れない程度かもね。洒落っ気のあるライフスタイル。内面的なお洒落。いいエッセーを書きたい。etc.)と『恋心』(誰かが言ってた。恋は自由だと……)を持ちたいものである。
 図らずも再認識した『お洒落and恋心』に、わくわくしている私めである。

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