釣書の字
定年を迎えた私の夫は、これからの生きがいを求めて模索中です。その夫が先日、『習字をならいに行く!』と言い出したものですから、思わず噴き出し、うろたえました。
夫は毛筆・硬筆ともに字を書かないできました。そう、書けないのではなく書かないだけです。今どきそんな人、いるの?と言われそうですね。だけど、夫は過去から現在に至るも、恐らく未来にかけても永遠に、私を妻にしている限りは書かないでしょうよ。それには、こんな暗黙の了解があるからです。
二人はごく普通のお見合結婚でした。最初に「釣書」なるものをお渡ししましたが、彼からはまいりませんでした。さては、男性の横暴!と不満でしたが、何分、封建制のなごりをとどめる昭和三十年初期のこと。結局、彼については仲人口を信じてお見合を、三ヵ月後には結婚というスピードぶり。
ところで、新婚まもなく夫が白状したのによりますと、私の渡した釣書の毛筆の字を見た途端「これにしよう」と決めていたんですって!。決して私の字がうまいとは思いません。きっと彼自身よりマシだったに過ぎないのですよ。妻たる者を選ぶのに、美貌とか気立てとか優しさとか……あるでしょう。それを字で選ぶなんて、やっぱり物好き!。
とは言え、その物好きのお陰で、私は妻の座にありつけたのです。ひたすら夫の書記役を務めてまいりました。年賀状や電話のない時代は親戚、友人への書簡など。夫の仕事は技術系です。さりとて、書くことは避けて通れません。今だから言えることに、簡単な図面から出庫伝票や作業日報(一日遅れに提出)、課員の勤務評定など、さまざまでした。
せっかくの『習字を……』ですが思い止まって頂きます。だって、もしも熟達されようものなら私は妻の座から失業です。一九九〇年は国連『識字年』。それを逆なでするような夫で、わが家の平衡が保たれているのです。
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