花博(大阪国際花と緑の博覧会 1990年)が私に残したもの(2)
ネパール展示場で買ったカリ人形だが、ほんとうは発音違いで、カーリーだとわかるまでに、ちょっとしたハプニングがあった。
翌十月一日、私は花博の外事課に電話して、カリについて知りたいのだがと、事情を話してみた。ところがその時、私は思い違いをして、ネパールと言わずにパキスタン展示場で買ったと言ってしまったのである。それじゃあ、大変な親日家のパキスタン人が、此花区に住んでいる。親切に答えてくれると思うから聞いてみなさいということになった。
その人の名はミスター アシュラフ。一面識もない私の唐突な電話に、はっきりした日本語で答えてくれた。「四本の腕があるなら、ヒンドゥー教のカーリーに間違いない。ぼくの国は回教徒が多いがね」。ここで初めて、お国の違いの人に尋ねるという全くもって失礼な、私のミスに気づいた次第である。それなのに彼は、カーリーに詳しい友人がいるから聞いてあげようとまで言われたが、丁寧にお断りした。ヒンドゥー教の神と分かっただけで十分だった。ただ、彼の日本語は流暢だ。ついつい、あなたの国のこと何でもと、お願いしたら気持ちよく応じてくれたのである。
一九四七年八月十四日、インドと分離してパキスタン誕生。米、綿花がタクサンとれる。車、テレビ、ビデオといったものを日本から輸入、コールテンを輸出している……等々、書ききれない。既婚女性の社会進出については、結婚すると夫は妻を働かせないと、キッパリと言い切られた。だって、子供の面倒はダレがみるのですか。第一、お客さまがきたらダレが紅茶をだすのですか。砂漠の近い南アジア地方の家庭でも、私たちと相通じるものがあり、主婦の原点をつかれる思いであった。
さて、アシュラフさんのお陰で私は、今まで知らなかったインド神話の世界をかいま見ることになった。その中で、カーリーはヒンドゥー教の三主神の一人、シヴァのお妃と分かったのである。主神のもう一人ヴィシュヌは、大洪水のとき、魚となって人間の始祖マヌの乗った船を髭(ひげ)につないで助けた。こんな動物崇拝と世界を救った化身の話が、ずらりと十種も並んでいた。
シヴァは、破壊と万病治癒の神とある。なんと極端で矛盾したことだろう、つぶして治すとは。と思ったら、インドの季節風の恐ろしさと、その過ぎたあとの快い蘇生のおもいを象徴するのだという。言うなれば「飴と鞭」なのだろうか。厳しく人間をこらしめる一方で限りない愛情をそそぐ。シヴァ神は、敬謙な人々の憧れであり、生への偶像化であるに違いない。カーリーは、もともと温和でやさしい女神であった。が、シヴァと結婚後は、恐ろしい顔形で残酷な神として、夫同様の信仰をうけてきたとある。驚くべきはそのルーツが古いこと。前二千五百年ころのインダス文明で、シヴァに似た神像や夫婦仲よく並んだ彫刻が発掘されている。インド人の約八割はヒンドゥー教徒というから、地続きのネパールも含めて、数千年も前からヴィシュヌ、シヴァ共々、カーリーはこの地に息づいているわけである。
ここで、以前聞いた原始仏教の話を思い出してみよう。お釈迦さまは二十九歳で身分、妻子を捨てて出家。三十五歳のとき、菩提樹の下でブッダ(覚者)のなり得ているが、このブッダの特色は性否定にある。女は信頼できない、不浄で汚らわしいとした。現代ならさしずめ、女性蔑視も甚だしいと言いたいところ。ブッダがその生誕地インドに広まらなかった理由が、これにあるといわれる。前五百年ころのブッダにくらべて、前二千五百年のヒンドゥー教のお妃樹立は、恐ろしくもはるかに進歩的。ウーマンパワーの元祖であるような気がして、親しみがもてるのである。
素朴なカリ人形は、我が家の居間にずっとぶらさがっている。これからネパール、パキスタンに熱い視線を向けることになりそうだ。


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