南京虫の独白
おいらは南京虫である。
おいらの生業は、人間さまと共存しその生き血を頂戴することだ。あの暗黒街に巣くう悪玉に似ている。でもって人間さまは、おいらのことを蛇蝎(だかつ)の如く嫌うが、おいらだって生きる権利ってヤツがある。
平凡社の世界百科事典にも「半翅(はんし)目トコジラミ科に属し、体長五ミリ外、褐色、細長い円盤状で……」とあるように、おいらはシラミの一味でれっきとした昆虫さ。
遠い親戚に、アメンボ、セミなど純粋な奴もいる。たかが五ミリそこそこの小物に、そう目くじら立てることはないと思うがね……。
ところで、おいらが黄金時代はなんてたって、あの太平洋戦争を境とする戦前から戦中のころだろう。
で、ここに昭和十五年ごろ再現し、ふりかえって見よう。体長五ミリそこそこのおいらをめぐって、人間さまは悲喜交交(ひきこもごも)。げに滑稽な略奪合戦を繰り広げていたんだから……。
舞台は大阪港区。とある路地裏の四軒長屋に向かって左端の家である。今様でいえば三Kの広さに、なんと驚くなかれ「家族」という名の人間さまが、十人も住んでいた。
二階にある一つの部屋は三人の野郎ども(息子)が占領し、残る一方には「鬼も十八番茶も出花」の娘を頭とした、三人の娘たちがわいわいがやがやと起居している。
階下の台所兼居間は、(兼)寝室でもある。両親に『南京虫の独白』の作者である女の子(四女)とその弟(四男)が寝ていた。こんなニンマリするような構図だからこそ、おいらが仕事がやりやすかったという訳さ。
さて頃は八月。一年中の書き入れどきである。早朝のしじまを破って、トン、トン、トン、と階段をかけ降りてきたのは、一番上の娘。「また、南京虫に噛まれた!すごい痒い」と、母親に訴えた。と、つづいて「うちもや、こんなホロセが……」と、二番目三番目も降りてきた。泣きべそをかいている。娘たちは殊更においらを嫌った。
それもその筈、同じ標的でも野郎どもより娘たちの内股や臀部(でんぶ)を狙ったほうが、快感にきまってら。だからこそ、娘たちは痴漢にでも合ったように騒ぐのさ。
さっそく娘たちの母親は、恨み骨髄に徹するおいらと対決する次第と相成る。母親は部屋の真ん中に、おもむろに新聞紙を広げた。
実はおいらを退治する仕掛けが、昨晩のうちにしてあった。布団が敷かれる。その上に、おいらが同業者である蚊よけの「蚊帳」をつり、さらに部屋の四方に木片が並べられる。
縦・横四センチ、長さ五十センチぐらいの直方体の木片には、多数の穴があけてある。隙間や暗がりに潜みやすいという、おいらの習性を逆手にとったものだ。
昼間、畳や柱の割れ目に住むおいらが、深夜になってやおら這い出し人間さまを襲う行き帰りを、生け捕ろうという魂胆さ。お笑いなのは、こんな木片が荒物店で堂々と売られていたことさ。
コンコン、コンコン、と母親は、仕掛けておいた木片どうしを新聞紙の上で叩く。穴から頓馬なおいらの仲間が飛び出してくる。人血を吸ったのは、「ぼくじゃない、あいつだ」「いや、違うちがう」と、逃げまわるあのサマはちとみっともないがね。母親と女の子は容赦なく、プッチン、プッチンと親指の爪で押し殺していく。
お気の毒だがこんな原始的なやり方では、おいらは挫けない。あまつさえ港区でも名うての低湿地帯ときている。ポットン便所や吸い込みカイショの不潔さ加減は、おいらの卵のこの上ない壌土であった。おいら仲間は嫌が応でもふえていく。
とはいうものの、おいらにも強敵があらわれた。「リンデン」とかいう水色がかった粉薬や、戦後に進駐軍がもたらした「DDT」なるものがそれだ。さすがのおいらも降参だった。こんなモノを吸い込んだ日にゃー、人血を吸う力も消えうせて、おいらの体はペッチャンコ。生ける屍になってしまう。
だが、いつの世も幸運はつきものさ。「リンデン」なる粉薬は値が高い。貧しい四軒長屋のくだんの家は、もっぱら木片が主力。母親と女の子は、旧態依然たる「コンコン、プッチン」をやらかしていた。おいらは自由奔放にふるまった。


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