川辺の船宿を訪ねて (1)「鍵屋」とくらわんか舟
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きのうは、夫が泊まってくれる晩なのに、七時のはずが、九時がすぎても来てくれない。時計のカチカチが気になって、個室でひとりじりじり待つ身は、やり切れない。
やがて、ペタッペタッと夫独特のつっかけの足音が、静まりかえった廊下から響いてくる。私はあわてて、うちわで、顔を隠して、むくれてみる。「やあ、ごめん。色々あってね」と、夫の声がしたときは、布団をかぶって狸寝入りをきめこんでいる。でもやっぱり心が弾んで、パッと笑顔を覗かせる。
自動販売機のかちわれで、氷枕を高くしてくれる。気持ちいいやろと私のおでこをポンと叩く。冷やしたタオルを、マウンドのピッチャー然と、おでこめがけてストライクと投げつける。なじる私に、文句を言うなと、ポン。汗だくの体を拭いてよに、注文ばかりつけやがってと、ポン。なんでもかんでも、鬱憤(うっぷん)はらすように、私のおでこをポンと叩く。
きょうは、夫の番じゃないのに、会社がひけて直行でやってくる。腹がへってぶっ倒れそうだと言いながら。途中、阪急で買った栗、かき氷、クッキー。朝、家から持ってでた、かゆみ止めのムヒに、私のお気に入りのタオルケットを抱えこみ、汗をびっしょりかいている。どれもこれも欲しいものばかりやろといつものように、ポンと叩く。
好きな栗をたらふく食べて、はよう栗のように強く元気になれよと、おでこをポン。私を泣かせるこんたんですか。にわかな優しさは、反射的な涙になって、しょっぱい涙は、口腔に戻っていく。本当は、ドジで、じゃじゃ馬がと、手間のかかる厄介者めがと思っているのでしょう。仏心で、しょうこと無しに、寝たきりなのを不憫(ふびん)がって……と、追打ちかけて、憎まれ口ざんまい。両の足で歩けるならば、どこにでも消えてなくなるわと、からいばりの私に、夫は一層強く、好きなようにしやがれと、ポン。私は張り子の虎じゃない。
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